ゆっくり ゆったり ゆうゆうと
ずいぶん忙しく暮らしてきたこれまでだったと思う。何
時も何かに急かされて、どちらかというと自分の夢をもち
ながら、むこうへと押しやっていた感がある。
とはいうけれど、毎年たてた計画はどちらかというと確
実にこなしてきた私がいた。
【計画と夢は、同じようでいてちがう】
この間、急に右手があがらなくなった。ヒモが結べない。
下着(シャツ〉が脱げない。髭がとかせない。エンピツが
にぎれないの”ないないづくし”で何としたことかとあせった。
そしてともかくひたすら眠りつづけた。たくさんの夢をみた。
いい夢もいやな夢もあった。その夢にいくつか教えられた。
”達者”が売りものだった。”元気印”そのものの私だった。
何かにつけ私がいなくては−と心のどこかで思っていた。
だがそんなことはなかった。現に寝込んでも、まわりはしっ
かり動いている。そしてまた、私がいなくては−でなく私
の出番があるたぴにどれだけ多くの人に迷惑をかけたり
扶けてもらっていることか。何も出来なくなって、自分の
中にある心のおごりを知った。
平凡だけど今年の夢の第一は(ほどほどに達者でいる
こと)そのうえでの夢の実現はいくつかある。一つ、丸岡
秀子先生の生き方を伝えるための映画をつくるお手伝い。
二つ、私の社会奉仕の「佐久しあわせ教室」も25年目に
なった。そのイベントを何かする。三つ、随筆集はいくつ
かあるが、せっかくの小説集を出す。などなど数えていっ
たらこれは大変、でもまたいくつかある役職の肩書きを整
理して、私のための時間をつくろう。
ゆっくり ゆったり ゆうゆうと。この”三ゆ”をことし
の私の夢としたい。
ゆめ=現実のところ実現していないが、将来は実現さ
せたいねがい。
計画=物事を行うために、その方法、手段など筋道を
たてて企てること、またその企てのための内容。