小海線の朝
「そりゃあ、利口なもんだよ。さっと姿かくしちまうだから」
「消毒だ、つていうのをよく知っててな。白い糸をつたってす−とおりて、あの下の方の丸みの中に入っちゃうだから見事なもんさ」
「ヘーエ、白い糸を出してねえ」
「そうだだよ、口から出すかお尻から出すか知らねえけど、目に見えないような細い細い糸でな」
「糸もきれいだだよ。虫もきれいだよなあ」
「そうさあね、きれいっていうか、何ていったらいいかいやなあ、カゲロウみたいで細くて青くて‥・体長5ミリくらいかなァ」
「それがさあ、今日はハネが生えていたかと思うともう虫になっているだよ、成虫になるのが早くてな」
「何ていう虫だだい」
「コナガ」
「コナガ?」
「そうそうコナガっていってたな。一週間で孵化して親になっちゃうだよね」
「あの虫の好きなのはキャベツ、白菜、甘い野菜につくだよね、うっかりしてたらすぐにスカシになっちまうだから−」
「わしら家でたべるのは虫くいだよ。形もいい、品〈しな)もいいなんていうのはこわい気がして、とても食べる気にもなれないだよ」
「でもそれずるいよな。自分だけいいなんて」
「そうさあ、でも売れなきゃゼニにならねえし・…・。コナガはさ、チンゲンサイやダーサイとっても好きだだよ。レースにしないために、わかる?消毒こまめにするだ」
「わかるよ、だけどさあ、これでいいんかね」
「一体どこがどこが悪いずら、どうすればいい?」
「ニワトリが先か卵が先かってういようだけど、こういう事実をわからせる、つていうか指導する役割みたいなものはどこがするだいやねえ?」
「政府?それとも農協かいねえ」
「消費者の団体みてえなとこぢゃあねえの?」
「私たち自身じゃあねえの?」
「マスコミだと思うよ。テレビや新聞、ラジオでどんどん言ってもらえばいいじゃあねえの?」
「それもそうだけど、下手に言われたら大変だよ、それよりこのごろの女衆だってよく外へ出るようになっただから、現に今日のわしらだって勉強会にいくずらに?そういうところでどんどん言ってくのが本当だと思うよ」
「そりゃあ、とうてい駄目だわい。ここではこの剣幕でしやべれるけれど、人前でいい言葉つかうなんてこと思うと、とたんに声がノドにつかえて出なくなっちゃうだから」
「ということは、野菜たちしょっ中消毒しなけりゃあダメちていうことになるわけか−」
「そうだだよ。それもな、どんどん薬に抵抗力ができてきて・…・・昔の薬じゃ死ななくなっちゃっただよ、なあ7」
「ほんと、自分で消毒やっていて、恐ろしくなるときあるもの」
「だってさ、武さんとこ飼いものしているずら。ハエがとっても薬に強くなった、ってなげいていたよ」
「そうだよな。ハエもコナガも命がけだものいろいろ研究するわさ」
「研究がいいに。でもこんなことしていて、いまに人間サマが虫に支配されるようになるよね」
「ほんとだ、人間サマも考えなくちゃあね」
「だけどさ、集荷所に野菜もっていくずら、一口に『レースはだめだぞ!!』と言われるじゃない、レースにしないためには何回だってよけいに消毒っていうことになるしさあ」
「レースとはよく言ったもんさ、でも葉脈だけを残してきれいに食べちゃうだからねえ」
「まったくだ」
「でもさ、冗談でなく考えていかねえと良くねえよな」
「ほんとだいな、またみんなで話しあわずに」
「あれ!この次降りるだよ、しゃべってきたらえらく早くに着いちゃっただいね」
あたたかそうなストールを首に巻きつけた人、いかにも健康そうな頬の色をした人、ちょっとおしゃれな装いの人、繭で作ったブローチが胸元にあって、みな一様にキラキラ輝いている瞳。子育てが終わっておしゅとさんが元気で、夫もそれなりに協力してくれて、きっといい勉強ができることでしょう、いってらっしゃい!
さわやかな小海線の朝でした。