「ぬくもり」

  • 野菜王国川上

    「俺らあ参ったでエ、ことしゃあどうしてこんなにせわしいかわからねえ、お盆さんはさんで、やったらへえたら忙しかっただよ」
     玄関を入るなり大きな声でそんなことをいって、久しぶりにMさんが陽にやけてまっくろになった顔を見せた。
     「ほんとう?なんでなんだろうね、いつもと違う暑さだからかしら」
     「わからねえ、とにかく寝るヒマもなく働いたよ、いま医者へいって薬をもらってきただ」
     「ヘーえ、だってさ、そのために外国人の助っ人をたのんであるんじゃあないの?」
     「それがさあ、労働時間が違反しているとか、人権にかかわるとか、いろいろきびしくなって、助っ人が起きてくる頃にゃ俺(おら)とうの仕事は、なからになってしまうだ。馬鹿げたことさ」
     「ほんとう? じゃあいいような悪いような−、こんな言い方してはいけないかな」
     「あゝ、その通り。いいような悪いような、さ。家の者が働いているのを奴等は8時からという時間が来るまでみているだよ。承知はしていても腹がたつわな」
     口角泡を飛ばしMさんのおしゃべりはとまらない。まあまあお茶でものんで落ちつきなんしょ、と招じ入れるとMさんは帽子をとって汗をふきふき
     「トイレかしてくれや、先に小便してくるわ」と奥にいった。
     ことしは本当に書かった。標高1200mの川上村でさえ30℃を越す日が幾日もあったとか。それだけに野菜のくさりも速いし、雨が降らなくて野菜の出来は悪いし、何かとハプニングがあったらしい。
     高原野菜の収穫は夜中がほとんど。なにゆえ夜中に野菜をとるのかときいてみたら、太陽があがってしまうと野菜があたたまってしまう。それを搬送車で冷やすのは時間のロスにもなるし、第一いたみに通じてしまうからとのことだった。
     朝2時、それぞれの畑に人が働きだす。まだ暗いので、発電機をつけて、その灯りの中で野菜をとる。小さな夜の球場があちこちにあるようで見事なものとか。発電機だけでは手許が暗いのでヘッドライトもつけての作業とか。昔の炭坑夫のいでたちを想像させた。
     空が明るくなるとき、暗くなりかけのとき、プヨがよってきて刺すので、腰には蚊とり線香を吊るしての予防対策。格好なんて言ってられない。刺されたらかゆいし痛いし、腫れるし、膿んでしまうこともあるし、たまらないからと聞いたが、さてはてどんな吊るし方をするのだろう。
     農協から毎日”農家”の申告どおりに出荷してもいいとか、2割落とすようにとか命令が来るのだそうな。「申告」「命令」とか昔懐かしいことば。まるで自分の意思がないみたいだけれどそうではなく、農協(組合)には職員とは別の役員制度があって、命令はここから(自分たちのなかまから選んだ役員)とのこと。出荷量の申告は各自農家の考えで自分の家の限度、野菜の成長ぐあい、天候まで見合わせて自分で決める出荷量というのだからすごいこと。組合も農家もその判断次第でどちらにもころぶ。頭も神経もつかっての命令であり申告であるから責任重大。並みの人間には出来ないことと感心して聞いていた。
     それに野菜が豊作で、最盛期のときが安値とあれば、廃棄処分を余儀なくされたりいろいろ。たまに畠の隅に山のように積まれた野菜たちをみると、もったいないと思うのだが、たとえ知人にでもくれてはいけない。まして売ってはいけない。つまり廃棄処分にすると政府からお金がくるなどと聞くとウーン、と考えてしまう。
     億単位にお金が入るといっても1千万円もするようなトラクターを買ったり、マルチを張る機械だってウン百万円というお金、車を買ったりハウスをつくったり、そういったものの返済もあって農家ももうかるだけとはいかないらしい。でもでも空気はいいし、働くといっても半年忙しいだけだし、信濃川に至る千曲川源流の里は八ヶ岳が見えて蓼科もみえて、浅間もみえて桜が綺麗で、緑が美しくてすてきなところ。
     Mさん川上からくだっておいでよ、といったら「冗談じゃぁねえ、朝になればウン百万と入るお金、魅力だわなァ」と言った。